2013年6月11日火曜日

フランシス・ベーコン展に行ってきた

初フランシス・ベーコンです。

みていると落ち着かなくなって
動き出したくなる、焦燥感にかられるような気がしました。
なにが、そんな印象を与えるのか
心に働きかけるものはなにかを考えてみてみると

①柵やガラスに覆われた対象物
②潰れた顔と大きく開いた口
③ねじれた、あるいは一部失った皮膚、筋肉

で、この3つの要素がどうも、心に私の心に働きかけたようです。

自分なりの感想と考察
①について
対象を柵やガラスに覆うことで
自分と対象物を区切り、対象物を固定し、観察している。
違和感があったのは、スフィンクスミュリエル・ベルチャーの肖像で
彼女をその空間に閉じ込めてしまったところは、なんとなく気持ち悪かった。
人と神との中間であるスフィンクスに死んだ彼女を投影したのは、
こちらの存在から魂の存在への移動を意味したためだろうか。
そういう意味では、このガラスは超えることのできない、また超えてはいけない壁なのかもしれない。

②について
「叫ぶ教皇の頭部のための習作」のように大きく開けた口、それもなにかを叫ぶ様子
は心を揺さぶってくる。その背景にある物語を強制的に伝えるかのように。
文章は文脈を形作り、変化をいれることで、人の感情を動かす。
絵画の場合はどうだろうか。
ピカソのゲルニカのように時代背景や作者の物語をしることで、絵に物語をつけて、人の感情を動かすかもしれない。
しかし、このシリーズをみると表情、口の形だけでも心は揺さぶられる。

③について
さて、最後のほうのシリーズにくると、いっそう目立ち始めるのが、
皮膚と筋肉のねじれ
欠けた皮膚の絵は、痛みと暴力性を想像させ、
暴力を受ける側と与える側の両方の心を動きを励起させてくる。
筋肉のねじれはをみると、自分の肉体もまるで、引き伸ばされるような、また収縮させられるような、
痛みあるいは動き出したい衝動を与えられる。その感覚は自分の確かな存在を教えてくれる。


さて感想と考察をまとめていると、自覚していたよりずっと多くのことを考えていて
びっくりした。

まとめ
自分なりのフランシス・ベーコンは
顔、口が心を揺さぶり
皮膚筋肉のねじれが、身体の感覚を通じて、今ここにいるという存在を確認する
という印象でした。

あと、豊田市美術館のレストランは待ち時間かかったけど、美味しかった。しかも安い。

*絵画素人です。トンチンカンでも優しくしてあげてください。



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