2012年7月15日日曜日

金閣寺

認識対象は認識する側に影響を与える。
金閣寺は主人公にとってそのような存在だったのだろう。

中学生のころは情景描写ばかりで、つまらないと感じたけれど、
30前に読んでみると、小説における美意識の高さに驚かされる。
言葉の使い方、物語の組み立ては堅牢な建築物のようで、
認識と言葉の重要性は哲学的であり、中学生の自分には分からなかったのだろう。

特に金閣寺に対する病的なまでの美的認識が素晴らしい。
そして主人公が金閣寺にとらわれていく状況。
金閣寺の存在を焼き放つことによる、解放への渇望は
まさに盲目的に取り憑かれているさまだ。

コンプレックスが人生に影響を与え続けることは、誰にでもあることなのだと思う。
主人公の場合は人から距離をおき、認識は金閣寺にとらえられてしまった。
金閣寺を焼き放ったあと、開放された主人公の人生はどのようになっていくのだろうか。

師匠である老師は若いころは、道楽の限りを尽くしていた。
老師はこの落ちていく弟子をどのような思いでみていたのだろう。
老師側からスピンオフ作品があれば絶対買うのに、すでにそれは望めない。

0 件のコメント:

コメントを投稿