2012年12月25日火曜日

フランス革命まとめ


17世紀にはルイ14世がフランスの繁栄のもと絶対王政をしいていた。
アメリカ独立戦争への援助とイギリス産業革命による輸出攻勢により
フランスの財政は危険な状態におちいっていた。

ルイ16世は特権階級にも課税をしようとするが、
特権階級はこれを回避するために、しばらく開かれていなかった三部会の招集を行った。
しかし、三部会の第三身分は国民の代表を主張し、第三身分を中心とする国民議会を宣言した。
国民議会で、所有権を神聖不可侵とする人権宣言を採択した。
革命の急進化に不安をもったルイ16世がオーストリアへの亡命をはかるも失敗(ヴァレンヌ逃亡事件)
1791年立憲君主制を定めた憲法で選挙権が市民に与えられ、立法議会が成立した。

フランスから革命が飛び火することをおそれたプロイセンとオーストリアはピルニッツ宣言(1791年)でフランスに対する行動を宣言。
フランスvsプロイセン、オーストリアの戦争になる。
1791年8月10日国王を幽閉。
同9月20日ヴェルミーの戦いで革命軍が勝利
1792年国民公会が成立し、王政廃止と共和政が樹立した。
1793年ルイ16世の処刑
これらをうけ、ヨーロッパは改めて警戒を強め、第一回対仏大同盟が結成された。

周囲が敵となった不安定な情勢のなかで、国内を安定させるべくジャコバン派による恐怖政治が行われた。
革命戦争の勝利によりジャコバン派のロペスピエールによる恐怖政治の正当性を失い逮捕処刑となる
=テルミドールのクーデター

独裁の反省により、1795年国民公会から5人の総裁による構成される総裁政府を誕生させた。
それでも、国内の動乱は続き社会不安は増大していた。
社会不安を抑えるため、軍隊は台頭していき、ナポレオンの誕生となる。

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